数ヶ月前に依頼されてから、何を話そうか、何を話そうか、
いままでで一番悩んだ登壇

昨日、私が中学、高校と通った母校である、桜蔭の創立記念式典での講演。

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社会人向けへの講演とは全然違うでしょうし、
大変お世話になった母校ということもあり、
しかも、私はたいへんな落ちこぼれで、そんな私を呼んでくれた理由と、私に出来る恩返しは何なんだろうかと。

それはもう前日は眠れませんでした。


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以前、出版社の方にいただいてたこの本を、ごぞごぞ取り出して、

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こんなに折りまくるまで読み込んだけど、
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でも、それは、私じゃない。

引用したところで、聞いているみんなの心を動かすような、魂のこもった言葉にはならない。

私らしい、スピーチってなんだろう。
自分の言葉で語ろう。
何を語ろう。
どんなメッセージをおくりたいんだっけ。

そんな風にずっと頭の片隅にありました。

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当日は、中学校2年生から高校3年生の、懐かしい制服をきた女子たちが所狭しと整列する体育館の壇上にたたせていただいて、

みんなをながめて、胸が熱くなりました。
そして、自然と心はおちついていて、満面の笑顔で話し始める事が出来ました。


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小さいときに、
「これからは女性も働き続ける時代が来るよ」母にそういわれて、

であれば、

結婚も子供も仕事もすべて手に入れたいと思った私が、
女性としてどうやったら理想の人生をつくれるのか、
小学生の頭で一生懸命考えた末に、

まずは、一番難しい女子校に入る事で自分の未来の可能性を広げようと、
脇目もふらず勉強した話。


七転八倒しながら勉強しつづけ、
やっともぎとった中学合格だったけど、
周囲は本当に頭が良くて、入学後すぐに東大目指してコツコツ勉強を始める姿に、

しょせん草野球は通用するけど、偏差値大リーグには立ち向かえない、
私は、この道では大成しないと、才能あふれる彼女達を尻目に、その道をあきらめ、

それから自分の強みについてずっと悩んでいた話。
周囲にコンプレックスをもちつづけていた話。



桜蔭は、東大にわんさか入るような女子校だけど、
成績を発表されることも、先生に勉強しろといわれることもなく、
本当に個性を尊重してくれ、自主性にまかせてくれる学校でした。

だから毎日楽しく通う事ができ、先生に感謝しています。

落ちこぼれの私が、活躍したのは授業以外のシーンでした。(体育とか家庭科とか美術とか)

であればと、高校生の時、文化祭で出店しようと、
おちゃづけ屋さんを企画しました。

(日常茶飯事=にちじょうちゃめしごと っていうオヤジギャグ)

これが、周囲のささえで、大成功したんです。
その商売の小さな成功体験を、先生はみんな褒めてくれて、すこしヒントがつかめたこと。

そして、大学生のときに稼ぎまくった家庭教師のアルバイトの話
そして、いまの「起業家」という私の仕事について。
「新しい価値をつくること」それが、自分の天職だと思っている話。


最後に、彼女達へのメッセージは、

いま、日本の女性パワーのあり方が変わろうとしているから、
才能の宝庫であるあなたたちこそが、
このように恵まれた教育環境で育ったからこそ、
その恩を、身につけたちからを、もっている力を

社会にでたら、どんどん還元してほしいと、

みなさんの聡明さは財産なので、新しい事、道なき道をつくって
後続する女性達が通りやすい、素敵な道をつくってほしい。
一人でも多くの女性リーダーがここからうまれますように。

そして、一緒に、日本をもっと進化させていきましょう。

そんな話をしました。

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体育館に整列する、1000人を超える女子たちが、
前のめりになってくれ、時に爆笑し、ときにざわめきながら、
熱心に最後まで話をきいてくれました。

そして、一緒に校歌斉唱をしたこと
最後は私が壇上からおり、体育館をでて、すっかり姿が見えなくなるまで、
拍手喝采で送り出してくれたこと。

私の人生に刻まれる、記憶に残る誕生日になりました(桜蔭の創立記念日と一緒だった!)



いつも背中をおして、応援してくれた母親と
暖かく私の個性を見守ってくれた先生方、
そして、会社をささえてくれてる仲間達、人生を支えてくれる友達、

すべての存在があっての私にこのような貴重な経験をさせていただいて
本当に感謝です。


↓ 準備の為に読みましたが、大変勉強になりました!